もっこうさんですリターンズ

岩手県一関市の小さい工務店「菅原木工」がおくる、建築情報や趣味の情報をお届けしていきます。

【パソコン】NEC LAVIE LL550/GのCPU交換をしてみました。

LL550/G

 

 今回も、中古で購入したノートパソコンのCPUを交換してみました。交換したPCはNEC Lavie LL550/Gです。

 もともと搭載されているCPUは AMD Sempron(TM) プロセッサ 3200+(1.60GHz)です。

 これを同じソケットSocket S1のTurion 64 X2 TL-52(1.60GHz)に交換します。

 

LL550/G

 

LL550/G

 

 交換の手順は以下のとおりです。

1 本体のバッテリーを外す。

2 背面のカバー(ネジ×2)を外す。

3 ファンのコネクタを取り、ファン(ネジ×2)を外す。

4 CPUを固定しているネジ×4を取り、ヒートシンクを外す。(ついでにヒートシンクについたほこりを掃除する)

5 CPUを固定しているロックを解除する(反時計回りに180°回すと解除できます)。

6 新しいCPUを取付ロックする。

7 ヒートシンク、ファンを取付、作業自体は終了です。

 

 あとはBIOSで、CPUが認識しているのを確認し終了です。


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【陸前高田市】 宝尾山 長圓寺

気仙隕石落下の地

宝尾山

 

 陸前高田市の国道45号線沿いにある長圓寺は、永禄年間の開山、開基が権大僧都長円法印の真言宗智山派の寺院です。
 

宝尾山

(気仙隕石落下の石碑)

 境内には嘉永三(1850)年に落下した日本最大の隕石「気仙隕石」石碑が建立されています。
 気仙隕石自体は、養蚕や疾病・漁業にご利益があると信じられていたために、もともと135㎏あった隕石は、少しづつ削り取られ、106㎏まで減ったという逸話がのこっています。
 隕石は、現在、国立科学博物館に展示され、長圓寺には破片2個が保存されています。

(出典:いわてのお寺さん)


【宝尾山 長圓寺MAP】


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【一関市室根町】 柴股城跡を見てきました。

柴股城跡

 
 国際医療福祉専門学校一関校(旧釘子小学校)前の市道を東方向の小松集落へ進むと、沼田バス停留所があります。その南面の丘一帯が柴股城跡となっています。丘の高さは約40mほどで、大別すると三つの丘に分かれていて、真ん中の一番高い丘が、東西80m、南北が80m程の平場で楕円形をしているところが本丸と云われています。
 周囲は切り立った断崖で北西側は、深い空堀になっています。 二の丸は、南面へ100m程伸び一段と低い台地になっています。現状は道路の建設によって二つに分割され畑地になっています。
 三の丸は、北側に伸びている丘で、本丸との境は内堀によって仕切られています。 周囲には数段の土壇が配置されいます。
 「葛西氏家臣事典」によると、天分年間(1550年頃)前城主の佐藤氏退去の跡、来往し釘子氏となる。柴股氏は一代~二代で衰退したようだとしています。
 釘子村「風土記」「古城書上」には城主は、葛西家家臣柴股図書義高と伝えています。

 「葛西真記録」に天正十八年(1590)栗原郡森原山の陣立ての中に、釘子城主柴股大学義武のが見えます。葛西家没落の後、末裔は南部家に仕えたとあります。 

(出典 室根村史より)


【柴股城跡MAP】

 


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【菅原木工寺院施工例) 如意山金剛寺 本堂 その2

金剛寺

 (本堂正面)

 本堂向拝部、柱、虹梁、唐破風、枡、懸魚等はケヤキ材を使用しています。

屋根は瓦屋根かつ棟には鬼面を使用し、本堂らしい風格を表しています。

 

金剛寺

(脇玄関ホール)

脇玄関のから本堂へのホールです。

本堂及び脇玄関の廻り縁、長押などの造作材、床の松材も寺所有の木を製材したものです。

 

金剛寺

(内陣脇床の間)

内陣脇の床の間です。床柱には槐の木(300×300)w使用しています。

 

金剛寺

 

内陣脇は床の間と位牌堂になっています。

完成時には檀信徒の位牌はなく、仏像が納められています。

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【菅原木工寺院施工例) 如意山金剛寺 本堂

 

金剛寺

 陸前高田市気仙町にあるの寺院「金剛寺」は、正しくは「如意山一乗院金剛密寺」と称し、京都府の智積院を総本山とし、千葉県の成田山新勝寺、神奈川県の川崎大師平間寺及び、東京都八王子市の高尾山薬王院の三山を本山とする真言宗智山派に属しています。

金剛寺


本尊は如意輪観世音菩薩です。開基は仁和四(888)年と伝えられます。「気仙風土草」には、「仁和年中、大江千里が奥州に下向し、氷上権現に詣でて帰洛のことを祈り、宥鑁法印をして祈願せしむ、仁和四年に赦を蒙ることを得たり、ここに於いて感謝を奉じて一寺を建立して如意山金剛寺と号した」と記されています。

 江戸時代、伊達藩二代藩主忠宗の地方巡視の際金剛寺が宿所にあてられ、近郷の末寺三十余り、さらに常法談法として法談の中心的役割を務めてきたことから、いかに隆盛であったかがわかります。

 

金剛寺

 

 2011年3月11日、東日本大震災による津波によって不動堂、聖天堂を除くすべての建物が倒壊してしまいました。

 それから、住職や檀信徒の方々の協力によって、6年の歳月を経て本堂を再建することが出来ました。

現在の場所は、寺院の所有であった山林を自力で造成した場所に建てられています。

間口九間半(17.3m)、奥行七間(12.7m)本堂と、間口四間(3.6m)、奥行五間の脇玄関、事務室、トイレの間取りとなっています。

 金剛寺

 

 入母屋瓦屋根の大屋根と向拝は唐破風銅板葺となっています。

構造材は柱・梁にスギ、マツ材を、土台に桧材を使用しています。

 向拝の柱、虹梁や内陣・外陣の丸柱にはケヤキ材を使用しています。ケヤキ材を除く木材の大部分は寺院所有の山を木を切り出し、乾燥・製材したものです。

 

 天蓋が吊るされている外陣の天井には、住職自ら杉板に梵字を書いた折上格天井になっています。


【如意山金剛寺MAP】


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