もっこうさんですリターンズ

岩手県一関市の小さい工務店「菅原木工」がおくる、建築情報や趣味の情報をお届けしていきます。

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【パソコン】 TOSHIBA dynabook EX/34JKS CPUを交換してみました。

dynabook EX/34JKS

 東芝から2009年に発売されたノートパソコン「dynabook EX/34JKS」のCPUを交換してみました。

交換前のCPUはCeleron® Processor 900(1M Cache, 2.20 GHz, 800 MHz FSB)のシングルコアです。

 今回は「一方、ふうえんさんちでは…の「dynabookのCPU交換」の記事を参考に分解、交換してみました。

dynabook EX/34JKS

 このパソコンはこれまで交換してきたNEC製のPCと違いある程度分解しなければ、CPUが交換できませんでした。

 バッテリー、メモリ、HDDを取り外した後、背面のネジ×11ヵ所、バッテリー収納部のネジ×3ヵ所、メモリ収納部ネジ×1か所を外します。


 そのあとキーボード上部のカバーをマイナスドライバーで外し、キーボードを留めているネジ×2か所を外し、ケーブルを外します。

 

 キーボート下のカバーのネジ×5か所を外し、本体のカバーを少しずつツメを外していくと、カバーが外れ、マザーボードがあらわれます。

dynabook EX/34JKS

 
 無線LAN、DVDドライブ、HDDのコネクタをゆっくりと引き抜き、本体と固定しているネジ×2か所を外しようやく、CPUを交換できる状態になります。

 ファンを留めているネジ×3ヵ所、ヒートシンクのネジ×2か所を外し、CPUのロックを反時計回りに180°回すことによってCPU本体が外すことができます。

CPUの交換後、分解と逆の手順で組み上げ、BIOS起動後、CPUの認識の確認、OSの再起動で作業は終了です。
 

celeronT3300

 dynabook EX/34JKSはモバイル インテル® GL40 Express チップセットですので、今回、取り付けるCPUはceleronT3300(1M Cache, 2.00 GHz, 800 MHz FSB)デュアルコアにしてみました。

 core2duoの交換例もサイトに見受けられましたが、認識しない場合の時の分解にひと手間かかるため、間違いのないceleronT3300を選択しました。


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【黒川郡大和町】 八谷館跡(八谷緑地公園)を散策してきました。

八谷館跡

 東北自動車道大和I.Cから仙台北部中核工業団地に向かい、東北自動車道の高架下を通ると八谷館跡を見ることができます。

八谷館跡

 「仙台古城書上」によると、館主は戦国時代の豪族黒川氏の一門八谷冠者または八谷越前守と記されています。

 八谷館跡は昭和47(1972)年、東北自動車道建設に伴う調査によって、南北約130m、東西約70mほどの規模を持ち、北側の3分の一は東北自動車道によって失われているものの、土塁や空堀跡は現在も見ることができます。

八谷館跡

 現在は八谷館緑地公園として整備されています。

 

八谷館跡

【出典:宮城県の歴史散歩】


【八谷館跡MAP】

宮城県黒川郡大和町落合蒜袋


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【一関市千厩町】 仏坂城跡を散策してきました。

仏坂城跡

 

 一関市千厩町磐清水地区、曹洞宗の寺院「鷲嶺庵」近くの小高い丘が城跡です。

 「兵庫館」・「愛宕館」とも呼ばれるこの城跡ですが、城主であった仏坂兵庫からとったものです。

仏坂城跡

 「仙台領古城書上」によると、城の大きさは縦二十間、横三十間と記されています。

 城主は亀掛川兵庫、仏坂加賀、加賀弥右衛門・彦五郎・彦左衛門などとなっています。

 仏坂兵庫以降は伊達藩に仕えました。

築城年代は不明で天正年中にはすでにあったものとみられます。

仏坂城跡

 城の頂部には道路から5分ほど登ったところにあり、愛宕様が祀られています。

 登るまでに平場など見ることが出ます。

 頂部が主郭となっていて、その北側に土塁や空堀・平場があります。

DSC_0541[1]


鷲嶺庵近くの平場が屋敷跡となっていて井戸跡の遺構があります。

DSC_0543[1]


愛宕様の背面が土塁・空堀となっています。


【仏坂城跡MAP】

岩手県一関市千厩町磐清水関上


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【菅原建築設計事務所 設計例】 大原 八幡神社 本殿・拝殿

八幡神社

国道343号線大東町大原にある八幡神社です。

八幡神社は治暦年中(1065~1069)の勧請と云われています。

 

八幡神社

 

万治二(1659)年、伊達宗房が三千石でこの地を治めると、延宝四(1676)年に現在の地に社殿を改築、また宝器を献納しました。

 

【本殿・拝殿設計】

 菅原建築設計事務所

 


【八幡神社MAP】


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【北上市】 下門岡ひじり塚を散策してきました。

ひじり塚

北上市中心部より県道14号線を南下し、「ひじり塚」の標識から2kmほど進むと、ブドウ畑の中にひじり塚を見ることができます。

 

ひじり塚

 
 ひじり塚は時宗の開祖一遍の祖父河野通信の墓と伝えられています。

 河野氏は現在の愛媛県松山市北条を拠点とする伊予国の豪族で、源平合戦では源氏方につき、水軍を率いて兵士討伐に活躍しました。

 「吾妻鏡」によると奥州合戦の陣中で源頼朝の食事には通信がつねに近習したことが記されています。

 これらの活躍によって1203(建仁三)年に守護の佐々木氏とは別に、伊予国の一部の御家人の統率権を与えられています。

ひじり塚

 
 1221(承久三)年の承久の乱では、後鳥羽上皇側につき敗れ、江刺郡に配流されました、

 極楽寺にて庵を結び、1223(貞応二)年に六十八歳で没しました。

 

ひじり塚

 墓は四角い段の上に丸く土を盛り上げた二段造りで、表面を平らな意思で覆う、堀をめぐらしてあります。

 1280(弘安三)年秋、一遍は時宗の布教の旅の途中でこの地を訪れ、祖父通信の墓参りをしています。

この時の様子は「一遍上人絵伝」にも描かれています。

(出典 岩手県の歴史散歩)


【下門岡ひじり塚MAP】

〒024-0041 岩手県北上市稲瀬町水越


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