もっこうさんですリターンズ

岩手県一関市藤沢町にある小さい工務店「菅原木工」が時々おくる、建築情報や趣味の情報を勝手にお届けしていきます。

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【松島町】 明治潜穴公園を見てきました。

明治潜穴公園

 

 国道45号線より国道346線を北上すると国道沿い松島町幡谷地区にレンガ造りの建造物を見ることができます。ここが「明治潜穴公園」です。

 

  公園より国道346号線を北上した水田地帯が、品井沼干拓地です。
品井沼は北部の大松沢丘陵、南部の松島丘陵、西部の奥羽山地、そして東部を流れる鳴瀬川に続く大きな沼でした。


 江戸時代、仙台藩二代藩主伊達忠宗は新田開発に力をそそぎ、品井沼沿岸地区の荒地を拓きました。その後1693(元禄六)年には品井沼の水を、浦川を介して松島湾に流すために、松島丘陵に潜り穴(トンネル)を通し、鳴瀬川からの逆流を防ぐために小川閘門を設置する二大工事が開始されました。
 元禄の潜り穴の穴頭は、松島町幡谷明神崎に残りますが、明治時代に改修され現在ではレンガでおおわれています。

 

明治潜穴公園


 明治に入り、1899年県議会議員の鎌田三之助らの尽力によって予算を獲得し、1907年には潜穴3条の排水路をもつ明治潜穴が着工します。潜穴の崩壊・落盤・設計変更、予算の増額などの困難を乗り越え1910年についに完成を迎えました。

 

公園下に、レンガで出来た3つの潜穴の穴頭を見ることができます。

(出典: 宮城県の歴史散歩 より)


【明治潜穴公園MAP】

宮城県宮城郡松島町幡谷泉ケ原


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【黒川郡 大和町】 八谷館跡を散策してきました。

八谷館跡

 東北自動車道大和I.Cから仙台北部中核工業団地に向かい、東北自動車道の高架下を通ると八谷館跡を見ることができます。

八谷館跡

 八谷館は、大きく北側と南側に分かれていて、公園は南側となっていて、北側は昭和47(1972)年、東北自動車道建設のため今は跡形もありません。

 東北道建設に伴う調査によって、南北約130m、東西約70mほどの規模だということが確認できました。

 消滅してしまった北側は、大きく三つの郭から成っていて、主として西側を土塁と横堀で固めていました。城内へは西から登り、郭の入り口にあたるヶ所からは四本柱の門跡が発掘調査で検出されました。

 南側の遺構はそのまま公園化され、東北道開通によって南端の郭・土塁・堀切が消滅し、現在は公園の入り口、駐車スペースとなっています。

 その他の部分は、台地上広く郭を取り、土塁で区画していたことがうかがえます。

 八谷館の歴史はほとんど不明で、「仙台古城書上」などには、黒川安芸守の弟八谷冠者なるものが永禄年中まで、あるいは八谷越前守なるものが天正年中まで居住していたという伝承が記されていますが、はっきりとはしていません。

 ただ、八谷館のすぐ北側に黒川氏の居城である御所館があることから、黒川氏に関係する城である可能性が十分にあります。

 

 

八谷館跡

 

 

八谷館跡

【出典:宮城県の歴史散歩 東北の名城を歩く 南東北編


【八谷館跡MAP】

宮城県黒川郡大和町落合蒜袋


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【登米市】 佐沼城を散策してきました その2

 佐沼城本丸より150m程北西へ歩くと、住宅街の間の小高い丘に西館跡という標柱を見ることができます。

 

西館跡

(西館跡 津田家御廟所)

 西館は南北約100m、東西約35mの平城で、本丸西側に2ヶ所、本丸の裾から南北に走る高さ約2m程の土塁があります。

 

西館跡

(西館 土塁跡)

 

西館

 

 天文年中に大崎氏の家臣である石川氏が四代に渉って居城としましたが、その後佐沼城西側の防御施設の性格が濃くなります。 

 

この場所より北面に、当時の沢若しくは堀(現在国道389号線)を挟んだ段丘上の丘があり、これを伝政宗陣所跡と伝わっています。

 

西館

 

 江戸時代になると西館は津田家、亘理家の御廟所として利用され現在に至っています。

 

(出典:東北の名城を歩く 南東北編: 宮城・福島・山形 )


【西館跡MAP】

宮城県登米市迫町佐沼字内町

 


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【登米市】 佐沼城跡を散策してきました。 その1

佐沼城


 登米市市中心部国道389号線と県道36号線の交差点近く登米歴史博物館脇に佐沼城跡は位置してます。

 

 鹿ヶ城とも呼ばれるこの城の築城年代は不明ですが、「佐沼古戦場記」に文明五(1473)年の城主佐沼右衛門直信という記述があります。天文年間には、数度にわたって葛西と大崎の間で合戦があったことが軍記ものなどに見え、地理的にも佐沼地域が葛西・大崎の境目の地域であったことがうかがえます。
 十六世紀中ごろからは大崎氏家臣石川氏のが四代に渉って治め、奥州仕置後の一揆の時の当主は彦五郎でした。天正十八年の奥州仕置で佐沼城は開城、変わって木村吉清が入城、数か月後、一揆が勃発し、吉清らは一揆勢に囲まれ籠城、天正十八年十月に伊達政宗らによって救出されます。
 翌天正十九年、一揆再征に出陣した政宗は先に宮崎城を落とし、次いで一揆勢の最後の拠点である佐沼城を攻撃、七月三日に落城、籠城した兵、住民らを斬首し「佐沼なで切り」と今に伝えられています。

その首級を葬った塚が大念寺南に現存し、「首壇」として史跡に指定されています。

佐沼城

 

本丸を北東に置き、前面に二の丸、三の丸を重ねる配置で、それぞれの外周に堀をめぐらしてありました。本丸は東西約100m、南北約80mの不整形で北東に櫓台状の壇があります。

 

佐沼城

 

 絵図には二の丸の中門前方に馬出が取り付けられています。佐沼城は天正十九年に岩出山城とともに徳川家康によって縄張りの改修が行われており、その際に馬出ができたとも考えられます。

 

佐沼城

本丸と西館跡の間には、亘理家住宅が保存展示されています。

 

佐沼城は鹿ヶ条公園として本丸部分を公園として整備されています。
その他の部分は市街化によって、城の痕跡は消滅しつつあります。

 

(出典:東北の名城を歩く 南東北編: 宮城・福島・山形

 


【佐沼城跡MAP】

 


【東北の名城を歩く

 


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【パソコン】NEC Versa Pro VK18E/AのCPUを交換してみました。

メモリの増設に引き続き、CPUの交換をしてみました。

NEC Versa Pro VK18E/A

 

このPCに搭載されているCPUはintel Sandy Bridge世代のCeleron B730(1.8GHz 1コア、2スレッド)です。

 

交換するCPUはIntel Core i3 2310M(2.1 GHz 2コア、4スレッド)です。

 

簡単な作業手順は下記の通りです。

 

NEC Versa Pro VK18E/A

 

1 バッテリーを外します。

 

2 メモリと同様に背面の大きなカバー(ネジ×4)を外します。

 

3 CPUを止めているヒートシンクのネジ×4とファンのネジ×2を外し、ヒートシンクを外します。

 

NEC Versa Pro VK18E/A

 

4 CPUロックを反時計回りに回して外します。

 

5 ファン廻りのほこりの掃除、ヒートシンクの古いグリスの除去。

 

5 新しいCPUを取付(取付位置に注意!)、グリスの塗布。

 

6 ロックをしてヒートシンクを取付、カバー取付で終了。

 

7 BIOSでCPUの認識を確認。

 

NEC Versa Pro VK18E/A

 

所要時間 10分程度の作業です。

 


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